20代半ばに何気なしにお金に困って消費者金融のカードを作成しようと考えた。実行するまでは恐怖からかなり躊躇したが、行ってみたらなんのことはないあっという間に手に入れることができた。

今回困っている額だけ借りて後で返せばいいや、と気楽に考えていた。返せるはず、当時毎月定期的にかなりいい給料が入っていた身にとっては、楽勝のはずだった。

私は子供の頃に自己肯定感が育たなかったため、大人になってから他人にいつもビクビクしながら過ごすようになった。

そのくせ自分ひとりでは生きられない、だから誰でもよいから人に愛されたい、それが自分の存在理由の全てになった。無償で誰かとコミニケーションを取ると私は絶対にうまくいかない、だから他人に嫌われるんだと思いこんでいた。

私はお金を利用すれば他人から褒められたり愛されたりすることができるんじゃないかと考え出していた。実際そのとおりだった。それがまやかしなものであると気づくよしもなかった。

これはすごい武器を手に入れた。私でもお金を利用して他人を使えばなんだってできるんだ、こうして私はそのためならいくらでもお金を使ってやると思った。

こうして私は寂しさを紛らわせるため、怒りを鎮めるためにお金を利用した。最初は自分の持ち金で足りていたものの、そもそも自己肯定感が少ない私は加速度的に「もっともっと」が止まらなくなり、借金を使ってでも自分を満足させることを優先した。

借金なんて返せるはずと思い込んでいたのとは裏腹に、気持ち的には返すつもりは毛頭なく、限度額一杯まで使い込んだ。そしてもうお金が借りられない、借りたお金を自分で返すあてもないと気付いた時に、始めてどうしようという焦り感情が湧いてきた。

しかしこの期に及んでもなお、私は他人を利用してなんとかしようとした。家族に口だけ謝罪した態度を見せ、その場で穴埋めができる目処がつくとホッとした。もう二度と借金はしないと自分はその時はそう決心した。でもほとぼりが覚めるとまた借金をこしらえていた。そもそも自分のことを大事にできない根本的な問題が解決していないのだから、表面上借金をやめたいと思っても、どだい無理な話だった。

こうして始めて借金をしてから20年以上、私は同じようなことを何度も繰り返し、累計数千万円という金額を他人に利用した挙げ句、その責任を自分で取らず、自分以外の人に肩代わりさせた。その代表がいままで関わってきてくれた家族である。

50代近くになって転機が訪れた。だれも自分のために借金の穴埋めをする人がいなくなった。どうにもならない、いっそ死んで世間にお詫びするしかないか。

私は深夜車に飛び込もうとした所を保護され、一定期間ある病院に入院した。その後退院して、ここまで地獄を見たんだから、もう自分でお金をなんとかできる、とこの期に及んで思っていた、しかしほどなく借金をした。

ゲームオーバー。もう限界だった。始めて私はそこで自分が正常にお金が使えないことを認めざるを得なかった。もうなんでもします。DAに既に十数年通ってはいたが、本気で初めて仲間に頼ることにした。

現在仲間のすすめで任意整理をしている。不思議なことにあれだけ自分では借金が返せなかった人間が、毎日家計簿つけ、借金を毎月定期的に返済している。そしてそのことがなぜか自分の自己肯定感が上がる材料になっている。こんなこと、自分1人ではとてもできなかったのに、これは奇跡ではないか、夢ではないかと思うときがある。

私はまだまだ回復途上の人間である。今スポンサーから、12ステッププログラムを手渡してもらっている。つまるところ、私はこのプログラムを通じて過去に犯した責任をとり、これからは自分の足で歩いていくために必要なものだと思っている。

そしてDAのミーティングと12ステッププログラムを通じて、だんだんと他人をお金で利用しなくても、ありのままの私を支えてくれている人が一杯いることにようやく気付いてきた。感謝でしかない。

いつになるかわからないけど、過去に犯した責任を取り、その上で社会で堂々と生きていける日を信じて、これからも今日1日たんたんと過ごしてゆきたい。